フェアトレードについて考えていて浮かんできたこと

経済学について、基本から分かっていないので、ちょっと教えてもらった。

個々の人間が、自分の利益を最大にするために最適な行動をすることが、個々の人間をひいては社会全体を幸せにする。
という基本原理があることを前提に成り立っている学問

自己の最大利益ってのも難しい定義だなぁと思った。
大利益が金銭的なゲインとは限らないからね、現代においては。面倒くさいことを避けつつ''ある程度''の利益を得るというトレードオフが発生する。

百貨店のエスカレーターでのエピソード

混み合ったデパートのエスカレーターで歩く人がほとんどいないにも関わらず、エスカレーター内で歩く人のためにすべての人が片側を空けていた。当然、エスカレーターの輸送能力は半減してしまうため、エスカレータの乗り口付近には渋滞が発生してしまった。
その時、一緒にいた友人は、

こういった状況ではエスカレーターの最大輸送能力を発揮させるために、片側を空けるといった愚行はやめるべきだ。なぜ、利用者は全体の効率を考慮して行動しないのか?

といった趣旨の発言をした。それに対し私は、

全体の効率よりも個々の人間が選択肢を持つことの方が重要なのだ、輸送効率よりも自分に与えられる選択可能性を重要視している結果なのではないか。

と答えたのだ。

結局は、個々の人間によって幸せが異なり、重要と思っていることが違う限りは、このような単純なモデルでは問題は解決しない。むしろ広告屋のやり口(洗脳・煽動)が最もシンプルで確からしいソリューションなのかもしれない。

フェアトレードとは、選択的に行動できる賢い消費者だと思い込むこと

搾取製品と非搾取製品(フェアトレード)の二つが与えられていたら、状況に応じて、安い搾取製品か少し高めのフェアトレード製品かを選ぶ。
ちょっとお金に余裕があれば貧困に喘ぐ後進国の子供たちを助けられるかもしれない製品を買うだろう。そういうこともスッカリ忘れて楽しくなっている時(もしくは自分が貧しさに追われている時)には安くてお得な製品を選ぶだろう。

消費行動をする自分が、その時により気持ちいいと感じるように消費をするのだ。それをコントロールする本質は、思想でも教育でもなく宣伝というキーワードでより一般化することができるだろう。