幇助

よるところがwikipedia:ほう助というのが悲しいが、どんな罪にでも付けられる魔法の修辞句であるようだ。法律によって特定の罪にのみ限定的に適用できるのかと思っていたのだが、なんでもありじゃねぇか。

中立的行為による幇助
Winnyの事件に関して、幇助を否定すべきとの主張のなかには、飲食店が車に乗ることを知って酒を提供しても、飲酒運転の幇助はまったく成立する余地がなくなるものもある。

待て、それは違うだろ。本来的には、(日本の法体系においては)ほう助が成立する法を規定すべきなんではないか?

罪は法律によって定義される。で、法律が現実に追い抜かれてしまっている場合は、法解釈ということになってしまう。本来、ミニマルな解釈をおこなうべきなのだが、それでは足りなくなっている現状からのジレンマで裁判員制度が施行されることに至った。と、個人的にはみている。しかし、これらは裁判員制導入の説明としてされていない。

でだ、金子氏の件に関して、司法が出来ることというのは、ほとんどないか限定的なはずなのだが、(現状では)。誰かが解説をつけている記述を探さないとわからんなぁ。

なんで、こんな面倒くさいことを考えているかというと、ライブドア事件が検察によって過大に晒されてしまったということが明らかになってきたからである。そして、堀江氏が事件後のインタビューで述べた、今回の事件で得たことは?の問いの答えが「コンプライアンス」とひとことのみ。コンプライアンスに影響を与えるのが、『法』なのか『世論』なのかというのは、大きな差がある。

id:mkusunok:20061213 金子勇氏の有罪判決に驚く にその通り。国外のほうが生きていくには有利じゃないかという結論に帰着してしまう。日本にいる理由は、日常生活を支障なく続けられて、思想・信条のベースとなる感性が程よく共有することが出来るからという以外になくなってしまう。事実、お金持ちな人は、自分自身の生活以外を海外に移動させてしまっている(竹中平蔵然り)。

上層の人間が、こんなんでは、日本の制度は結局、矛盾を抱えるしかない。

やだ〜。ひろゆきと被ってるじゃないか
これに詳しい。裁判公判などなど 2006-12-13(水) Winny事件京都地裁判決言渡し