二十世紀と私 デイヴィット・リースマン

二十世紀と私 (1982年) (中公新書)

二十世紀と私 (1982年) (中公新書)

付箋でメモした分

  • 8.シカゴ大学時代とマッカーシズム
  • 9.視野の地域的狭さ
    • 東京中心主義(ユニバーサル化)に同じか。当時は地方ごとの特色が現れやすかったが、現在ではマスメディアの影響で一様化が進んでいるのでは?
  • 11.核軍縮に向けて
    • 英国のデモクラシーの源泉ってなんだろうね?
      • 12世紀の周辺貴族や僧侶の圧力によるマグナカルタの存在が大きかったようだ。
    • 民主主義と言うのは、社会主義や政治のファッション化と切り離すことが出来ない。
  • 16.キッシンジャーと過激派学生の共通性

http://todo.oboetel.com/でメモした分

  • 解説
    • リースマンの予見と洞察力の件。単なる勘の鋭いはなしの面白いオッチャン?
    • '82年出版のこの解説でのアメリカが'00年以降の日本の様子に重なるのは、いつものことなのだろうか?
    • p.164 ゼロサム社会化したアメリカでは〜
    • 孤独な群集、何のための豊かさでは、東海岸アッパーミドルの局地的そして将来に対して楽観的ではなかったかと自己批判してみせている。
    • '80頃、米国の社会学講座の教師たちは学生の歴史知識の貧弱さを嘆いていたらしい。
    • ベトナム戦争後のアメリカしか知らずに、自己中心的な世界認識にたった若年層の右傾化を憂いている。
    • この部分だけ見ても、'02頃から現れるネット右翼に結びつきそうだ。ただし、ネット右翼の話をするには、日本国内の自国史認識だけでなく、ネオナチ台頭と同質な失業問題も踏まえなければならない。
  • ソ連旅行
    • ソ連旅行での体験は他では味わえないものだったろう。
    • 科学的センスの高い層の人間は社会主義共産主義に対して自然な共感(シンパシー)を持っただろう。しかし、ソ連を実際に見てきた人はガッカリして帰ってきたらしい。リースマンの回顧録を読むだけでも分かる。さらに決定的なのは、西側コミュニストスターリンが粛正したということだ。ソ連共産主義の失敗は自浄作用のない組織による政治体制が招いたものだ。
    • というところまでは分かった。ならば、スターリン亡き後、ソ連はどのようにして米国のライバルとしての力を維持し追随したのだろうか?
      • 第二時大戦後のソ連の成長について知りたくなった。
  • 大不況とある個人的体験
    • アメリカ・アッパークラスと下層労働者階級の不況時の認識の違い。人は半径5m程度を世界だと思ってしまうのだな。自戒。
    • インターネット、特にgoogleの衝撃はすごいな。空間だけでなく時間も圧縮した。教育問題の釣り記事の件と重なるものがある。
      • 放送大学で。大正時代のエリートが既に自分の人生のレール感を憂いた話題について。
    • 事実を確かめようとする好奇心ってすごいね。<--リースマン
  • 戦後の核兵器
  • jfk
    • イケイケの好戦的志向は、国・人民を強くする。
    • jfkは彼自信が伝説的だったのではなく、彼の好戦的態度によって鼓舞された強い米国人が伝説的なのだな。
    • 民主主義って恐いね!
  • 核兵器原子力
    • スリーマイル島事故はケネディ時代?
    • 核兵器拡大路線の縮小を余儀なくされた。
    • しかし、対抗策の如く浮上した核シェルターブームはそれが逆に核兵器容認への布石となっていた。モスクワの地下鉄を核シェルターであると宣伝したり。
    • スリーマイル島の事故は、核兵器に対する恐怖を呼び起こしたが、同時に原子力発電に対する嫌悪も喚起してしまった。
    • ノー・ニュークスとステッカーを貼った乗用車を見る度に皮肉に感じるらしい。(かなり先進的な人だったんだなリースマン)
    • 現在へ続く核問題の矛盾は、イケイケのケネディ時代に原発事故が起きたことに端を発しているのかもしれない。
    • 世界・地球・人類の存続を求める時、核兵器は脅威である。しかし、同時に有限資源の石油の節約に貢献する原発も嫌悪の対象にしてしまった。
    • 学者が持論を実証するために政治活動をするか、自分の政治思想の論拠を得るために学者をしているのかは、区別がつかないなぁ。社会学の怪しさの原因はそこにあるのかもしれないね。
  • レーガン登場の予言