クォータリー[あっと]3号
- 作者: オルター・トレード・ジャパン編集室パラグラフ
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2006/03
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
フェアトレードについてこれまでの認識
以前、フェアトレードについての考えてことがあった。
この時のこのように解釈していた。
- コーヒーの生産国での出荷価格と消費者が購入する価格には大きなひらきがある。
- 消費者が製品の対価として支払ったお金の大半が中間業者の手に渡っており、生産者はごくわずかのお金しか手にしていない。
- 生産者へもっと正当な対価を分配できないだろうか。
- だったら中間業者をとっぱらって生産者から直接買付けよう。そうすれば消費者が支払う金額をそのまま生産者に渡すことができるね。
- でも、そう簡単にブローカーを取っ払うことはできないよ。
- じゃぁ、消費者への販売価格に生産者への寄付金みたいなものを上乗せしようぜ。
- 「一生懸命、働いてもわずかな対価しか得られない生産者に愛の手を!」マークをつけて売る。
- 「あらまぁ可哀想!」と思った消費者がまんまと買うよ。
したがってこのような感想をもったのだ。
まだまだ不見識であるがやっぱりフェアトレードってのは、格差を解消するための消費運動ではなく、「格差に対する罪悪感を解消するための感情的消費行動」なのではないかという素朴な直感が正しいという気がする。
そしてこれを読んでみた。
コーヒーがフェアトレード製品とて取り上げられるには理由がある。コーヒーは赤道付近の地域でしか生産できない。赤道地域は貧しい国(というかかつての植民地)が多くそれらの国々で生産されている。そしてコーヒーの消費国はヨーロッパ・北米地域の先進国である。
こうした状況を見れば、植民地の安い労働力で生産したコーヒー豆を、かつての領主国が買いあげてコーヒーを飲むという文化的行為を楽しんでいる、という風に見えてしまう。さらに不運なことにコーヒーを飲むという行為は人間にとっての栄養摂取とはならない嗜好的行為であることも贅沢感があるのだろう。
こうしてコーヒーはやり玉に挙がってしまったのだろう*1
コーヒー生産国(生豆ベース)
順位 国名 数量(t) 1 ブラジル 246万 2 ベトナム 83万 3 インドネシア 70万 4 コロンビア 68万 5 メキシコ 31万 6 インド 27万 7 エチオピア 26万 8 グアテマラ 22万 9 ウガンダ 18万 10 ホンジュラス 18万 - 全生産量 778万 コーヒー輸入国(生豆ベース)
順位 国名 数量(t) 1 アメリカ合衆国 124万 2 ドイツ 96万 3 日本 40万 4 イタリア 39万 5 フランス 24万 6 スペイン 22万 7 ベルギー 19万 8 オランダ 14万 9 カナダ 13万 10 アルジェリア 13万 - 全輸入量 546万
クォータリー あっと 3号 p.33
で、こうしたことはこれまででも(なんとなくだが)把握していて、本当に知りたいところというのは、フェアトレードなんて言っている奴らが本当にしたいことは何なのか?ってところなんだ。
多分、どちらかなんだろうなと思っていたわけだ。現状では「愛の手を」系の募金活動とまるっきり変わらない状況になっていて、コーヒー生産者の生活が向上するとは到底考えられないような気がしていた。
あぁぁ。まとまんないや。あとでまとめる。こっからはメモ
「岐路に立つフェアトレードの現状と課題」堀田正彦*2氏のコラムが興味深かった。
- フェアトレードマークという製品規格を作ってしまったことの後悔。
- フェアトレードとは、自由貿易に対するカウンターであり、対症的対抗手段なのである。
- 自分達の本来の活動の目的は真に平等を求めることである。国を越えて国境を越えて生産者と消費者は、同じ労働者として連帯すべき関係なのだ*3
- フェアトレードを仕掛ける側でも、大きく二つに分裂している。
よりコアな活動家にとってもフェアトレードと言うのは「なんだかなぁ」な存在であるらしい。
結局のところ、フェアトレードと言うのは、先進国に住む消費者が気持ち良くなるための広告的活動なのかもしれない。ここからさらに踏み込んで左翼的な思想に持ち込もうとするのは難しいかもしれない。なんたってフェアトレードで気持ち良くなっているのは、広告に釣られやすいヴァリヴァリの消費者なんだから。
その辺はフェアトレードという甘美なキャッチコピーを作った自分たちが一番良く分かっていることだろう。