若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 ---新しい潮流がようやく生まれる予感

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者が働く気力をなくすのは、若者自身の問題と、社会構造の問題とがあるという。どちらにしても「働く」という行為にどういった意味があるのか希薄になってしまったが故の問題だというはなしだ。

自分の場合を振り返ってみると、修士の時点で就職をする気がなかった、かといって大学に残るのもイヤだった。当時の感情としては、自分の能力を実力通りに評価してもらいたいという青臭いものがあったのだ。それは、自分が不当に低評価だったということからきていたのではなく、現状の自分が非常にラッキーで周囲の助けがあって存在していることへの居心地の悪さに起因していた。
そして卒業後、僕はフリーランスとしてWeb系エンジニアへとうっかりなってしまったのだ。

当時、周りから見れば自分の実力を発揮することを目指す尊大な若者に見えたかもしれない。市場経済の中で成功を掴もうと目論むベンチャー志向だと思われただろう。

実際、僕は、働くということは、市場での自分の価値(立ち位置)を表明することだと思っていた。市場での評価というのが社会人に与えられた唯一の評価軸だと思い込んでいたのだ。
でも、世の中にはそれだけでは評価しきれない人達がたくさんいることを知った。*1働く気力は無いがすばらしい洞察と創造性に富む人物もいた。当初、彼らは単にやる気の無い人間だと思っていたが、そうでもなかった。
では、いったいナンなのか?
その疑問は、やがて自分に返ってくることになる。働くということは、お金を儲けるということではない。働くということは、他人から評価を受けるということでもない。働くということは、自己実現のためでもない。

働くとは、社会を構成するための義務であり、自分の能力を社会に還元するための手段なのだと思うように至った。こんな基本的なことを高校・大学と進学するうちに忘れてしまっていただけなのだ。

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これまで長年に渡って感じていた違和感が、最近の読書によって氷解してきた。

作者: 城繁幸の主張は、かつて来た道だったと思う。自由主義経済の1プレーヤーとして参加するには正しい主張だ。しかし、マーケットというゲームフィールドに立つことは、人間にとっての必須条件ではない。ゲームに参加しない・参加出来ない人間も多数いるのだ。そもそもこのゲームはフェアではない。市場というゲームフィールドは必要かもしれないが、それは社会を一面でとらえたもので、社会とはもっと奥深いものだ。

いままで(僕が見る限りにおいては)日本には選択肢が無かった。これから新しい選択肢が少しずつ勢力を増してくるような気がする。フランス大統領選挙で、ロワイヤル候補が選ばれると、新しい日本にとっての一つの指針かクッキリと浮かび上がるのではないだろうか。

*1:大学教授は、社会から外れた人たちだが、それは大学という隔離された社会で評価を受ける特別な存在だと思っていた。